自己流の美術館・博物館の見方。作品と友達となる手順。
美術館や博物会にいくのは嫌いじゃないんだけど、いざ作品を見て回るととにかく疲れてしまう。
予めこの作品が見たいと思って入る場合はともかく、ただこのテーマの展示を見にいこうとか、この人の絵はなんとなく好き、時間が余ったから入ろうなんて場合は、楽しいは楽しいけど特に体力を使う。
小一時間以上立ちっぱなしだし、静寂を守らないといけないし、なにより展示物を見てると気力が凄い勢いで削られていく。
そんなわけで、ある時から私がやってる自己流の美術館・博物館の見方について書いていく。おすすめの見方ではなくあくまで自己流の見方。
はっきり言って、展示されている全ての作品をまともに見て回ろうというのは無茶だと思ってる。無謀だ。
展示物はたいていその筋の一流の人が魂を込めた作品だったり、歴史において大きなな意義を持つ貴重な資料だ。そんなものを一日に何十点もまともに見ようとしても、こちらの体力が持つわけがない。結局、自分の気力が削がれて「見てるふう」な惰性に近い時間が増えるだけだ。(本当に好きで好きでたまらない展示だったら一気に見て回れるかもしれないが…。)
私がやっているのは、一回の美術館・博物館訪問で最低ひとつ”友達”を見つけるというものだ。以下、手順を説明していく。
①とにかくひとつ気になる作品を見つける
作者の説明や歴史とかは後回しにして、まずは先入観なしで作品を見て回る。
作品の全体を軽く見る→上から下へ大雑把にスキャンしていくような見方で、なにか引っかかる作品をひとつ見つける。
注意すべきは、余り作品を一生懸命見過ぎないことだ。
なんとなくピンとくる、あるいは逆に気持ち悪い、なんでもいいから「無」以外の感情が出てくるものを探す。
②感情を分析する
さて、何かしら作品に心を動かされた後はその感情がなんなのかを考えてみる。
驚き、喜び、悲しみ、嫌悪、怒り、予期、喜び、高揚、不安、…etc。
自分の中に湧いてくる感情の正体をつきとめる。
自分のことなのに案外難しいことに気づくだろう。なのでなんとなくでよい。
③作品を分析する
作品を分析するなんていうと大袈裟だけど、②で分析した感情がどこからくるのか考えながら作品をもう一度よく見てみる。
どこが気に入ったのか、全体の印象なのかある部位なのか、それが何故なのかを分析をしてみる。
色使いが綺麗、技が細かい、構図に緊張感がある、曲線が不気味などなど。
④作者について調べる
私の場合ここらへんで自然と作者について気になってくる。
この作品を作った人はどこのどいつでどんな奴なんだ、なにを思ってこれを作ったんだ、と。
大抵の場合、作者の生い立ちが書いてあるパネルなどを読むのだが、パネルがない場合や更に気になった時は作者や作品名を覚えてスマホで調べたりもする。
作者の素性や作品のテーマを調べてからまた作品を見ると、気づかなかった新たな表情が見れたりする。
⑤自分も作者になる
今度は自分がその作者だったらと思って見てみる。
つまり、その作品を自分が作ろうとしているのを想像をしてみるのだ。
どういう思い、どういうテーマでそれを作るのかは勿論、絵の場合ならば下書きや色をどう塗っていくかなど各工程を追体験するつもりで作品をなぞる。すると、あれ、ここってどうやるんだろうとか、ここは自分にはできないとか、技術的な部分で今まで気づかなかった部分が見えてくる。それでまた感嘆や感動を覚える。
これをやると構図や色使いなどのセンスが磨かれるのではないか、と淡い期待を持っているのだが、大抵の作品は凄すぎたり理解不能すぎて脳が嬉しい疲労を覚えるだけで終わる。
①〜⑤までのことをすると、その作品の全体の印象から細部の技術まで、いちど自分の中に落としこむことができる。ただ漠然と見て回る時とは比べ物にならない程作品が身近に感じられるはずだ。身近になった作品は、人生の”友”となる。こともあると思う。
あと、他の作品を見た時にこの”友達”と相対化して見ることで、簡単に他の作品をよく見ることができるようになる。
以上が私のやっている美術館・博物館の見方だ。
無理に全ての作品をよく見ようとするのではなく、国宝とか目玉の展示の他に3つほど”友達”が見つけられたら、それで充分という姿勢。
ただ漠然と見て回ってるよりはその後も作品が記憶に残ってるので少しはマシかなぁと思う。
他のよさそうな見方があったら知りたい。